「それでは山猫ちゃんの怒りは収まらんよね?」
友達のその言葉が、呪いを解いた。
それからが大変だった。
時間差でよく考えてから怒る、ということは、かなりしんどかった。
シュンとしたままで辞めて行った方が楽だ、考えること自体が身体に悪い。深い癒しが命がけにもなるように、どんなことでも、ドン底にいる時よりそこから這い上がる時の方がずっと苦しいことは、わかっていた。けれど、やっぱり、ちょっとだけ元気が出てしまった私は、本当にこのままでいいのか?と思ってしまった。
上司に対しては、わだかまりしかなかったが、もう話ができるような状態ではなかった。彼女は、私が三月末までシフト通りに勤務して黙って辞めて行ってくれれば、もう私に用事はなかった。(相変わらず他の人たちの休暇は快く許可していたが、私が転職活動で数時間でも抜けることは許可してもらえなかったし、最終日は文字通り、事務室から追い出された)私に余計なことを言い出されないよう、私を避けていた。私が上司に対する怒りや憎しみを処理するには、上司の事情を想像して理解するしかなかった。
なぜ、上司はあのタイミングで理性を失い、私を責め立ててしまったのか?
私はちょうどその頃、脳腫瘍の通院を終えたばかりで、嘱託の人と二人で雑談している時に検査結果を尋ねられた。放射線治療や手術の可能性はあるが、まだ今後の方針は決まっていない、と正直に話したのが失敗だった。
あいつはもうダメだ、どうせ休みがちになるだろう、自分たちの「定年まで安泰に務める」という目的の邪魔になる、早めに手を打たねば、ということになり、上司は私から事実確認もしないまま、私を脅したのだろう。
嘱託と職員で噂話や陰口レベルで、感情的になって攻撃するなどということは、さすがに想像していなかった。上司が直接、私から事実を確認すべきだと思った。が、全てがそういうレベルで事が運んでしまうような職場であることを私が理解しきれていなかった。
ちょうどその頃、事務室には締め切りを過ぎた書類が届いてしまって困っていたのだが、課長の温情からその書類を受理することになった。そのことで、上司と嘱託は毎日、課長に対する不平不満を漏らしていた。課長は話し合いには応じるタイプに見えたので、書類を受け付ける担当者として、不公平であることを伝えない方が職務怠慢なのでは?と私なんかは思って見ていたが、市役所では、波風を立てて異動させられることを極端に恐れる風習があり、仕事のやり方で意見を言い合う環境ではなかった。そんな課長に対する憎しみから、私のことを本当は面接に落ちたはずの人間なのに、課長が温情で拾い上げた、と思い込んで、その怒りを私にまでぶつけてきたようだった。そう思うなら課長に事実を確認して欲しかったが、全てが妄想と噂話で動いてしまう職場だった。
そして、私が自殺の疑いをかけられた時に、上司自身も自分の八つ当たり行動について、体調の悪さや、自分の仕事の困難さ、職場やプライベートでの人間関係の悩みなどの理由を挙げていた。
確かに、更年期で体調がかなり悪そうだった。その件で私も相談を受け、仕事のヘルプも求められていた。プライベートや職場の人間関係も荒れているようだった。気の毒になるくらい視野が狭く排他的だった。立場の弱い者や外部の人には権力で持って高圧的に出るしか、仕事を進める術を知らない人だった。常に何かのせいにして恨み、言い訳ばかりしているから、いつも悪循環の中にいた。田舎の人ならではの、身内以外の人とのコミュニケーションが不器用だった。
きっと私の母親もああやって、のたうち回りながら苦しんで働き、私を育ててくれたのだろう。
そうやって、毎日、自分に言い聞かせた。
上司が私にしたことは許す必要はない。けれど、誰しも余裕がなくなると弱い者を攻撃してしまう、人間とは弱くて攻撃的な存在だということを理解しなければならなかった。それをしないと、私自身が楽になれなかった。
友達が言うように、職場で誰かに相談することも考えた。
この職場の中では、まだ話を聞いてくれそうな課長や、先日、声をかけてくれた社会福祉協議会の人か、それとも、ハローワークか?などと考えてはみたけれど、結局、そうしなかった。相談したところで解決はしない。むしろ、中途半端に事実確認などされたら、ますます私への風当たりが強くなるだけだった。今の自分の体調で、これ以上、上司からの憎しみを受けるのは耐えられなかった。
一度、寝たきりを経験して、自力で外出できるようになるまでには多くの努力と時間を費やした。またいつ倒れて、もう以前の自分には戻れなくなってもおかしくない。そして、今度、同じことが身に降りかかっても、もう今ほどには回復しないだろう。したいこと以外のことはしない方がいい。限られた人生で、私はもっと呑気に過ごしていたいと思っていたはず。無益な闘いに時間を使っている暇などない。私が立ち去ればいいだけ。
この市役所では、これからも、職員同士のいがみ合いや、弱者いじめや、市民に対する暴挙が続くことだろう。彼らは自分たちこそが王道を歩いていると信じてやまない。彼らに対して私が何かする必要はない。そもそも、世界が違いすぎた。通じ合うところなど一切ない。どうぞ定年まで、やっててください!
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そして家では、猫の前で怒ってはいけないと思いつつ、抑えきれなかった。猫から隠れてお風呂や野原で一人で怒っていると、あっという間に数時間が経ってしまっていた。しかし、離れていても私のバッドなバイブレーション(?)は、猫には伝わってしまい、そのうち、猫もカンカンになって怒り出すようになってしまった。いつもは、猫が私に何を訴えているのか聞き分けることができていたが、気づいた時には「ニャアー!ニャアー!」とやかましい獣の鳴き声にしか聞こえなくなっていた。
それに、数時間が経っていることにも気づかないほど悶々としていたら、家事は何も進まない。そもそも、猫の世話もおろそかになっていた。すっかり家の中は荒れ果ててしまった。
そして、不満を抱いた猫も感情をぶつけてくるし、私もさらに頭に来てしまって、お互いに罵倒しあうようになった。二人(一人と一匹)で、日課のパトロールに出かけても息が合うわけもなく、リードで繋がれている我々は「俺はまだ行くところがあるんだ!」「私はもう帰るんだ!」と引っ張り合いになり、しまいには、無理矢理に帰ろうとする私の足に猫が何度もかぶりついて、猫キックを食いながら引きずって帰る、という最悪な状態になっていた。
今回の事件で、一番、煽りを食らったのは、うちの猫だった。いつも一生懸命な彼は、私がおかしなエネルギーを撒き散らしているだけで、他の部屋から走って来て怒るほどに、家内安全に目を光らせる見張り番であった。家の守り神であった。常に真面目に自分の仕事を遂行する彼に、悪いことをしてしまった。私は自分に余裕がなくなってしまって猫に頼り切って、すっかり甘えていた。社会的弱者が、さらに弱い存在である猫にあたるなんて、こんな最悪なことはない。
そう思うと、一層、やるせなかった。
呪いは解けた。あとは、一人で這い上がるしかない。
立場が強いとか弱いとか、そんな人間が決めた茶番劇なんて猫パンチだ!
この時期は本当によく噛み付かれ、猫キックを喰らった。
機嫌の悪い時期だったろうけど、いつも通り、思い切り伸びて寝ていた。
誇り高く生きる猫。
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