2023年5月11日木曜日

[脳腫瘍手術の回想008 苦味だけが残る]

食べ物から「甘い」「しょっぱい」が消えて、

最終的に苦味だけが残りました。

(酸っぱいものも好きでしたが、そんなに記憶に残っていないので、さほどショックを受けることはなかったのかもしれません。)


最後には、命を守る機能だけが働いているのだ、と実感しました。

「苦い」と感じないと、腐敗した食べ物を避けられない、と言うことなんだな・・・

甘い、しょっぱいは、少々わからなくても即座に命を奪われることもないしな、と思いました。


が、苦いだけを感じて生きていく・・・これがまた楽しくないんですねえ・・。


しかし、

「見た目で想像した味と同じ味がする」という安心感、そして、そもそも「味がする!」ということ自体の喜びを感じるには、「魚のはらわた」が一番良いと気づきました。

後に、脳腫瘍の手術の日程が決まり、会社も辞めて家で自炊していた時、やたらと「魚のはらわた」ばかり食べていて、なんだか、いかにも病気っぽい光景かも、とふと我に返ったことがありました。単純に、やたら偏ったものばかり食べている、って怖い光景かも。


そして、前回も書きましたが、「苦くても違和感のないもの」がやっぱり好きで、チョコとコーヒーは長年、摂取していました。

昔、おばあちゃんになると、なぜか皆、ちょっと苦味のある仁丹を食べていて、よく私もおばあちゃんにもらいましたが・・・

あれって、やっぱり高齢になると味覚が落ちていって、最終的には「仁丹が美味い!」と言うことになるのかも、と思いました。


抹茶なんかも、おばあちゃんが好きそうなイメージですが、あれも味覚の変化(あるいは、味覚の鈍化)によるものではないかな?と想像します。


そう言う私は、今、スタバに来て、抹茶オーレとニューヨークチーズケーキを食べております・・・。


ちなみに、猫は、酸っぱいもの、苦いものを避けます。

甘いもの、しょっぱいものも嫌いだし、食べさせてはいけないけれど、「酸っぱい」「苦い」を避けるために、食べ物にかなり近寄って鼻をクンクンさせて、ちょっとでも「酸っぱい」「甘い」の要素があると、プイッと踵と返して、その場を立ち去ってしまいます。

本来、自分で狩りをしてその場で食べる「フレッシュイーター」等で、腐敗したものを徹底して避けているんだろうと思います。



[脳腫瘍手術の回想007 食べ物の好みの変化について]


検査に引っかかる前、自分でも自覚症状を感じられるようになる前に遡って考えてみると・・・

当時、デニーズに「チーズケーキとザッハトルテ」というスイーツがありました。(今もあるのかな?あれば食べたい・・・)


正しい名称は覚えていないけれど、つまり、ずっしりとしたチーズケーキとチョコケーキが一枚のお皿に盛り付けられていました。

デニーズにはデザートが色々あったけれど、私は行く度に、こればかり食べていました。


チーズケーキは、フワフワ系でもなく、レアチーズ系でもなく、今で言うならば「バスクチーズケーキ」みたいな食感で、嚥下困難な私にも食べやすい形状だった。

ザッハトルテも、均一で密集した形状で、これも今でも食べやすい食感。

チョコケーキに関しては、甘みが濃い、と言う理由もあるかもしれないけれど、そもそも私はカカオの味自体が好きで「砂糖なしでも食べられる」。(ちょっと甘みがある方が好きだけど)

多分、ちょっとした苦味も好きなんでしょう。


ショートケーキ類や、他のデザートが、味の気色悪さや形状が理由で食べられなくなっていく中、チーズケーキとチョコケーキの摂取だけは続いていた。


元々、好きだった食べ物が生き残ってくれて嬉しかったけれど、そもそも、自覚しないうちに「自然と食べやすい物」を選んでいたのかもしれない、と思うようになりました。


しつこいよ!とお思いでしょうが・・・

私は、食べ物のことを考えるのが好きなようです。

家族や友人等の味の好み、もっと言うと、好みの偏りの理由を考えるのが趣味みたいなところがあります。


私の場合、脳腫瘍がジワジワと進行して行く中、自分で無意識のうちに、「食べやすい形状の物」「甘みが薄くても違和感なく食べられる物」に偏って行っていた可能性がある、と思いました。


食の好みの変化は、この後も、そして、最近にも起こっています。

体質とか体調の変化に通ずると思うので、何か変化があったら、気にかけてみては?と思います。

ただ、好みが変わったからと言って、即MRIだ!と勧めている訳ではないですが、何か検査で引っ掛かったら、食物の好みの変化等、自己分析してみるのも良いかと思います。


これを書いていたら、デニーズのあのデザートセットが恋しくなりました。

今、ココアを作って飲んでいるので、この後、街に降りて、チーズケーキを探そうと思います。

では!





[脳腫瘍手術の回想 006 味覚異常が始まった その3]

 


前回、「ショートケーキのスポンジは、天ぷらの衣と同じ味」と書きました。


要は、「甘み」を感じられなくなっていたのです。


残業帰りにコンビニスイーツを買って帰って、家でテレビを見ながら食べる、というささやかな楽しみが奪われました。

(今考えると、身体に悪い習慣なのだけど・・・・その時は、それだけが楽しみだった)


そして、だんだんと「あれ?しょっぱさも感じない」と他の味もしなくなってきていることに気づきました。


「甘い」刺激は、一番強いのかもしれない、と今になって思います。


当時、私が住んでいた場所はスーパーやコンビニが近所にたくさんありました。

24時間営業の海外食材が豊富なスーパー、深夜0時まで営業のお惣菜が充実したスーパー等、それぞれ特徴のあるお店がいくつかあり、帰りの遅い私でも何かしら買い物ができる街でした。


が、もう何を買ってきても「味がしない」という状態になります。


元々の好みは薄味で、お惣菜とかインスタントとか、買ってくるもののほとんどに「味が濃い」と感じていました。


が、前回も書きましたが、甘さ、しょっぱさが足りないと、気色悪くて食べられないか、食べても「何かが足りない」感じがします。


すでに味付けされている食べ物に、さらに醤油をドバドバかけて食べるようになりました。


甘みも足りないので、何かしら、砂糖とかハチミツとかを足していました。


元々、そういった調味料自体があまり得意ではないところに、急激に量を増やしたせいか、体はしんどかったです。


全身がむくみ、吹き出物等も出てきて、これまた、気持ちも下がっていきました。


何食べても不味い、って、楽しくないのですよね・・・。


 

2023年5月8日月曜日

[脳腫瘍手術の回想006]味覚異常が始まった その2

 


前回、「ショートケーキのスポンジは、天ぷらの衣と同じ味」と書きました。


要は、「甘み」を感じられなくなっていたのです。


残業帰りにコンビニスイーツを買って帰って、家でテレビを見ながら食べる、というささやかな楽しみが奪われました。

(今考えると、身体に悪い習慣なのだけど・・・・その時は、それだけが楽しみだった)


そして、だんだんと「あれ?しょっぱさも感じない」と他の味もしなくなってきていることに気づきました。


「甘い」刺激は、一番強いのかもしれない、と今になって思います。


当時、私が住んでいた場所はスーパーやコンビニが近所にたくさんありました。

24時間営業の海外食材が豊富なスーパー、深夜0時まで営業のお惣菜が充実したスーパー等、それぞれ特徴のあるお店がいくつかあり、帰りの遅い私でも何かしら買い物ができる街でした。


が、もう何を買ってきても「味がしない」という状態になります。


元々の好みは薄味で、お惣菜とかインスタントとか、買ってくるもののほとんどに「味が濃い」と感じていました。


が、前回も書きましたが、甘さ、しょっぱさが足りないと、気色悪くて食べられないか、食べても「何かが足りない」感じがします。


すでに味付けされている食べ物に、さらに醤油をドバドバかけて食べるようになりました。


甘みも足りないので、何かしら、砂糖とかハチミツとかを足していました。


元々、そういった調味料自体があまり得意ではないところに、急激に量を増やしたせいか、体はしんどかったです。


全身がむくみ、吹き出物等も出てきて、これまた、気持ちも下がっていきました。


何食べても不味い、って、楽しくないのですよね・・・。


 

[脳腫瘍手術の回想 005]味覚異常が始まった

現在は2023年5月8日。

ゴールデンウィーク明けです。


皆さん、どこかに出かけたりして楽しまれたのでしょうか?闘病真っ只中の人は、猛然と療養されていたでしょうか?

私は人混みに行けない体質になってしまったので、皆が出てきそうな時、場所は避けています。

ここぞとばかりに庭仕事に専念しました。


去年の今頃は、目も見えないし、しんどくて苦しんでいるだけでしたが、

今年は、しんどいながらも、立ったりしゃがんだりもなんとか出来る様になって、

充実の引きこもりでした。


ゴールデンウィーク後半は大雨で、本当の引きこもり(家屋からも出られない)状態になりましたが・・・。


そして、1週間以上ぶりに街に降りて、Wi-Fiを借りてブログをアップしようと思ったら・・・

アップしようとしていた記事を間違えて消してしまいました。

目があまり見えてないと、こんなことの連続です。

確か、こんなことを書いていたような・・・と思い出しながら、以下に書きます。

ーーーーーーーーーーーーーー

白砂糖の味というのは、今となっては、「つんざくような甘さ」というか、なかなか刺激が強いのですが・・・

脳腫瘍の診断を受ける前の私は、毎日残業ばかりしているだけの人間で、夜遅くコンビニスイーツを食べるだけが鬱憤晴らしの方法でした。

そして、ある晩、気づきます。


「ショートケーキが気色悪い!!」


もうこの頃には、砂糖の味を感じられなくなっていました。

他にも色々、プリンとかアイスとか食べていたと思うのですが、何を食べてももの足らず。

そして、ショートケーキに関しては、物足らないどころの話ではなく、「気色悪い」の域で、食べられたものではなかったです。


油でギトギトの卵くさい小麦粉の塊と、フワフワの白くて臭いやつが口の中に広がる・・・。


1日のストレス解消どころか、ストレスがマックスになり、ほうれい線が一気に深まりました。


甘味を感じない、と言っても、もう油だらけの小麦粉なのでした。

こういう時は、自分が食べたことのあるものの中で、近いものを探すようで、私はこれを「天ぷらの衣だ!」と思いました。


残業帰りの深夜、天ぷらの衣に、臭くて白いフワフワを塗りたくって食べる・・・悪夢でした。


「天ぷらの衣の味がするんですー」と会社で周囲の人に訴えるも、皆、笑うばかり。


そもそも、形状によって食べられない物ばかりになってしまった中、比較的、食べやすい形状がプリンやケーキだったのですが、それも取り上げ・・・。

この辛さは、本人でないとわからないでしょう・・。

2023年4月28日金曜日

[脳腫瘍手術の回想004]何なら食べられるのか?を常に考える


前回は、喉の違和感について書きました。

食べたくても、喉から先に食べ物が通らなくなって、健康面や食の楽しみを失い、人と一緒に食事を摂れなくなったことも加担して、気分が下がり気味になって行きました。

「何なら食べられるか?」

を常に考えて、お昼休みにはうどんを食べて、家に帰ってからは豆腐とかお粥とか食べていたようにも思います。

元々、甘いものが好きだったので、最初はゼリーやプリンを食べる頻度を増やしていましたが、流石に甘いものの食べ過ぎで、体調不良にもなったし、もう身体がうんざりしてしまって、甘いもの以外で主食が欲しい、と思いました。

甘くなくて、栄養も摂れて、喉を通っていくもの・・・あれこれ考えた結果、「テリーヌ」と「煮こごり」が美味しそうに思えました。

(今、冷静に考えてみると、ご馳走ばっかり。そりゃ美味しそうに決まってる!)

煮こごりは仕事を辞めてから、時間ができたので自分で魚を煮て食べたことがありました。むせる危険性の低いものを安心して食べられる、という気楽さに幸せをしみじみと感じたことを思い出します。

しかし、テリーヌはデパ地下にでも行かないと売っておらず、毎晩残業して帰る頃にはコンビニしか開いていなかったので、結局、食べずに現在に至ります。

そもそも、仕事か何かでパーティーに出た時くらいにしか、テリーヌなんか食べたことなかったのに、よく思いついたな・・・。

後に手術を受けた後も、一時的に食べられる形状の物が一気に減りますが、どんな物なら食べられるのか?を常に考えて考えて、時には考え疲れて、キッチンでへたり込んでしまって・・・それでも、何かを食べて生きてこられたのは、自分が食いしん坊であったおかげだと、つくづく思います。

こういう状態になると、元々、食にあまり興味がない人(男性とか?)とか、偏食の人はかなり厳しいのかもしれない・・・でも、病気をきっかけにバージョンアップして、自分で色々と食べられるメニューを編み出してしまう強者もいるのかな・・。

その後、入院してからは嚥下困難でも食べやすい物も教えてもらえたし、自分の体の扱いにも慣れて、今はもう食品の選別に慣れました(つまり、治ったわけではないです)。




2023年4月20日木曜日

[脳腫瘍手術の回想003]喉の自覚症状:食べ物が戻ってきてしまう

 「食道に病変あり」の自覚症状について、書いていこうと思います。


検査でE判定が出た当時、自分でもおかしいと思い始めたのは、食べた物が戻ってきてしまうことでした。


嘔吐ではなくて、「戻ってくる」というか、要するに、口の中で咀嚼して喉から内臓に送り込んだつもりでも、口の中に食べ物が戻ってきてしまう。「喉を通らない」とも言えると思います。

「喉を通らない」と言ってしまうと、「食欲がない」という意味にもなってしまうけれど、食欲はありました。私に起こっていたのは「食べたくて、口の中に食べ物を入れているのに、そこから先に進めない」という状態でした。


ご飯やパン、普段食べている物がなかなか喉を通って行かない。キノコなんか、そのままポコっと舌の上に戻ってくる。

職場の昼休みの時間は限られていたし、朝晩も噛んでも飲んでも食べ物が入って行かない・・・これにはまいりました。


そんな中、色々と試した結果、「うどんなら食べやすい」ということに気づきました。

ふにゃふにゃに伸びている方が食べやすかったので、昼休みには一人で食堂に行き、かなり手こずりながら、ポソポソと食べていた頃、なんだかすごく悲しかったのを思い出しました。


この時点で、すでに「友達と一緒に食事ができない人」になってました。

とにかく、時間が許す限り、食べることに従事しないといけないので、会話を楽しみながら食事を摂るなんて高度なことはできないです。


毎日毎日、うどんばっかり・・・

もっと野菜とか魚とかも食べたい・・・

栄養的にも偏るし、アトピーもあるし、便秘にも良くないよね・・・


とも思っていました。

当時、残業がやたらと多い仕事をしていた中、少ない自由時間で、好き勝手な物をパパッと食べて快楽を得て、同僚たちとおしゃべりして・・・

そんな時間で「手っ取り早く」ストレスを解消することも取り上げられ、気分も下がり気味になって行きました。




たまに喋ると、「ああおお!」になってしまう

 2023年4月20日


しばらく寝込んでいました。


光回線を撤去してから一気にある種のストレスから解放されたものの、その前から蓄積されていたダメージがあって、オフラインの状態でもiPadで作業していると、全身の弱いところが痛くなって、頭も朦朧、気づいたら全ての家電や配線に過敏に反応するようになってました。


さらに、別の発作も色々と重なり、歩くどころか座るのも困難になって、起き上がってトイレや食事に向かうも、コケたり失神しそうになったりで、危うい日々でした。


今も、発作は続いており、あちこち痛く、顔面神経の麻痺も悪化しておりますが、心臓に負担をかけないよう、最小限のエネルギーで動けば、なんとか自分と猫の世話はできるようになりました。

もっと余裕が出てきたら、セルフケアに励みたいと思っております。


大体、私の生活はこれの繰り返しです。


ただ、去年までの今頃は、毎年、もっと長期間寝込んでいて、家の中のあちこちにゴミの山(本人は「ゴミではない」と主張するやつです。本や書類の山、明日も着ようと思っているパジャマや服の山・・・とか種類別に山々が出現します)


起き上がれる時に、こういう山を必死で片付けて、また寝込んで山ができて・・・の繰り返しです。


さらに、去年は目が見えない時期が長く続いていたので、今はうっすら、ぼんやりとでも見えているだけで、ストレスがかなり減りました。


最近は寝込んでも、食事の用意と後片付け、洗濯、入浴だけは毎日、続けてできているので、私にしては上出来です。


ただ、それでも、全体的に体が弱っているなと自覚できるのは、やっぱり、嚥下があまり上手くできておらず、常に食べ物が喉や口の中に引っかかっており、常にゴホゴホとむせがちで、ガラガラ声です。


普段、人間にほとんど会わないので、たまにスーパーに行ってレジの人に

「ありがとう」と言うと、カッスカスの声と、滑舌の悪さ(頬や舌にも麻痺があるので)に、自分でびっくりします。

「ああおお!」みたいな発音で、かつ声も大きめにしか出せないので、異様な感じに。(^_^;)


一方、うちの猫は声がかなり大きく、長く発声できるタイプで、起きている間中、色々と何かをしゃべっています。

「おはよー!」と声をかければ、ちゃんと振り向いて

「おあおー!」と言うのですよ。

私も子音が発音しにくいので、大体同レベルの会話になっております。

ホントだよ!


2023年4月14日金曜日

光回線の謎、あっさり解決。

 2023年4月14日


数日前に、やっと光回線の撤去工事をしてもらえました。


NTT(の下請けの)人が午前中にやってきて、

「この前の工事が早く終わったので、早い時間にきちゃいましたけど、良いですかねえ?さっき、電話もしたんですけど、繋がらなくて」

と言う。

もちろん!一刻も早くお願いします!!


工事の人が、ちゃんと話をしてくれるタイプの方で、

「これは・・どうしたんですか?もう家は解体ですか?全部、取っちゃっていいんですかねえ?」

と聞く。

光回線を設置する工事の方が主流で、撤去工事はあまり数がないのかもしれない。


「いや、この家にはまだ住むんですけど、あの・・・私、光回線を敷いてから体調が悪くなってしまって。電磁波過敏症とか他にも色々と。で、この前、契約は解除してWi-Fiは止めてもらってからは、少しマシになったんですけど。まだその線が残っているからか、やっぱり部屋に入ると苦しくて・・・。光回線から離れているとマシなので、もっと遠くの部屋に設置すればよかったのかもしれないですが、場所の移動というサービスは行っていないそうで、設置するか撤去するかしか方法がないそうで。ネットが繋がらないと生活とか仕事とか困るんですけど、まずは撤去して体調がどうなるか様子を見てみるしかないと思いまして」

と事情を説明しました。


「どうします?本当に全部(家の外側から電柱に向かっている線も)取っちゃって大丈夫です?」

「はい、とりあえず、跡形もなく全て取っちゃってください。」


撤去は速やかに終わり、最後に後片付けをしているそのひとにもう一度聞いてみた。

「あの・・・光回線は手で触って作業して大丈夫なんですか?私、電磁波カットの布をその線に貼ろうとして近づいて作業しているうちに、一気に症状が悪化してもう近づくこともできなくなってしまったんですけど・・」


「光回線自体は、中はこうなっていて(と作業で撤去した線を割いて見せてくれた)、中身は光ファイバー(と言ったかな?)だから電磁波は通さないはずなんですよ。ただ、Wi-Fiを止めても、モデムに線が刺さっている状態だったんで、何かしらの信号が出ていたかもしれませんね」


なるほど!そうかも!と思いました。


モデムとかルーターとかの機器は、それぞれNTT、ソフトバンクに返却するように言われていたので、線を引きちぎりたい衝動を抑えて、無線機器は壁から出ている線に繋ぎっぱなしにしておいた。


「はい、これでもう全て撤去しましたから。これでもまdさ体調に何かある・・・となると、ちょっとわかりませんが、様子を見てみてください」

そう言って去っていくNTT(の下請けの)人、本当にありがとうございました!!


モデムを線から抜いた途端に、明らかに身体のしんどさ(痛みや痺れ、ボヤーッと麻痺した感覚)が一瞬で消え去ったので、

すでに平気でその部屋に入っていられる自分に気づいていた。


自分にとっては「爆心地」のような惨憺たる場所になってしまった部屋だったけれど、光回線撤去(つまりモデムからの信号を停止)した途端、こんなにも楽になるなんて・・・・!


部屋の中も、部屋の外(庭)も自由に移動できる!!


この喜び、安堵感にジワリと涙が出そうだった(出ていないが鼻歌は出てきた)。


というわけで、Wi-Fiがないとできないことがジワジワと溜まってきてはいますが・・・

こんなに心身ともに楽な生活を簡単には手放したくない!


というわけで、まだまだ「エセ・ノマド」生活は続きます・・・。


↑この壁に設置されている線。これを勝手に引っこ抜いたら返却前に壊してしまうかも?と思って、自分では撤去できなかった・・・。

ところで、「何かしらの信号」って何?!怖いわ!


2023年4月8日土曜日

【脳腫瘍手術の回想002】食道に病変あり

 2023年 4月7日。

やっとこさ、約10年前のお話です。


当時、私は地方都市に住み、派遣社員として、メーカーに勤務しておりました。

常に仕事の締切に追われており、毎日深夜残業が年間十一ヶ月くらいは続いていました。

作業的には、常にパソコン画面と睨めっこ。電磁波浴びまくりの「脳腫瘍には良くない環境」と言えました。


そんな生活の中、ある日、仕事中に「母が死んだ」との連絡が入りました。

私は1週間前に母とコンサートに出かけていたし、四日前には電話で何気ない話をしていたので、「突然の死」でした。

その後は葬式やら家の片付けやらで、一ヶ月ほど会社を休みましたが、

もう常にクタクタ状態でした。

電車移動の際には「椅子にめり込む」かのように自分の身体と意識が沈んでいく・・・

と自分の疲れっぷりに驚いていました。


会社に復帰してからは、「魂の抜け殻」状態でした。

母を失って悲しくて泣き暮らす・・・という感じではなかったけれど、呆然と日々を過ごしていました。


そして、勤務先の「健康管理部」的な部署から

「健診の結果でE判定があるから、速やかに二次検査を受けに行くべし」と何度も催促の電話が来るようになりました。


確か、「食道に病変あり」と記されていたように記憶しています。


私は、健診で何か引っかかって二次検査を受けに行っても、意外と「異常なし」で帰される経験もあったので、あまり健診結果を気にしておらず、かつ、仕事も家のことも色々あるし、面倒になってしまって、なかなか二次検査に行きませんでした。


しかし、確か、一年前も同じ結果「食道に病変あり」が出ていて、今回もその表記は消えていない。

しかも、実際に、自分の喉に違和感を感じる。

「これが食道の病変というやつかな?」

「何度も催促の電話をかけさせるのも悪いし」

そう思い、やっと二次検査の予約をしたのでした。


【脳腫瘍手術の回想001】10年経ったから書けること

 2023年 4月6日。

さて、やっと「10年前に脳腫瘍の手術を受けることになった時のこと」を書いていこうと思います。


当時の手帳とか見ながら詳しく書きたいところですが、何せ、視力がかなり落ちてしまったので、手帳の文字は読めず・・・どうしてもわからないところはiPadで撮影して拡大してから読む、という手順になりますが、ちょっとしんどいので、大体のうろ覚えで書いていこうと思います。


そもそも、このブログを書き始めた最初の頃、詳しい病名や病状を書かなかったのは、患者数が非常に少ないと言われていた種類の病気だったので、頑張って詳しく書いたところで、誰の参考にもならないだろう・・・と思ったからです。

それと、あまり詳しく書いてしまうと、実際の人物や病院を批判しているようになってしまいかねない?と思って、何も書きませんでした。

実際に、私に関わってくれた医療関係者、その他の一般の人々には「感謝」しかありません。

が、自分としては違和感を感じたことも伝えていったほうがいいかな、と思っています。


昔、うちの親戚が住んでいる山間の病院に、よくお見舞いに行っていたのですが、その病院では「院長教」と冗談で言われているほど、患者さんたちは院長先生のことが大好きで、院長先生が病室に来てくれただけで、もうありがたくてありがたくで、治ってしまうのだ・・・と聞きました。

その病院は高齢者が多いということもあったのかもしれませんが・・・、その信じる心で元気になっちゃうんだったら良いことだし、皆、治っちゃってください!と思います。

雰囲気だけでも人の心身は良くもなるし悪くもなる、と思います。


というわけで、ちょっとヘンテコなことも書くかもしれませんが、「これ、見ない方がいいかも」と思ったら、即、読むのをやめてください!!


ネット依存の療養生活

 10年前に脳腫瘍の手術を受けた後、一人で田舎で暮らしてきたわけですが・・・

ネット依存が甚だしかったです。


生まれ故郷の生家に戻ったといえども、家族はおらず、地元で付き合いのある友人は一人きり。

同じ街に親戚は一人だけいたけれど、バスや電車を使って1時間ほど行ったところで、術後の私にはその移動が大仕事でした。


歩いて15分くらいのところにスーパーマーケットがあったのですが、当時の私は1時間くらいかかって、途中でどこかに座って休んでなんとかたどり着いてました。

しかも、手術でバランス感覚を失っていたので、買い物できる品物は一個のみ。醤油を一本買ってリュックに背負って帰ってきたのを思い出します。


とにかく、歩行するだけで精一杯、という状態だったので、買い物や調べ物はネットに頼りきり、

「IT万歳!!」

と言っていた当時の自分を思い出しました。


そうこうするうちに、コロナ騒動が始まり、都会からのお見舞い客も途絶え、本当に「誰とも喋らない」という日々が続きました。

一ヶ月や二ヶ月は誰とも喋ってない・・・そして、喋ったとしてもスーパーのレジの人に「ありがとう」と言ったり、「シール集めてますか?」と聞かれたりする程度でした。

病院に行けば、医師やナースと話すこともあったけれど、調子が悪すぎて通院もできない、となると、本当に三ヶ月くらいは人と会ってない、なんてことが続きました。

最初、これが精神的にきつかったです。

一人暮らしには慣れていたし、一定期間、誰にも会えなかったとしても、お店やイベントに行きさえすれば、誰かの気配や「人が作ったもの」に触れることができました。

が、人のいることろ、お店や人の作ったものにすら触れられない、というのがこんなにも辛いこととは知りませんでした。

「一人で平気」と思っていたけれど、誰かが作ったお店とか、アーティストが作った作品とか、そういうものにどれだけ救われてきたことか・・・思い知りました。

そして、SNSや、YouTube(これも、まあSNSだけど)だけが心の拠り所になって行きました。

事実、元々の友人知人たちとはSNSでなんとなく近況を知り合えるし、SNSを通じて新たな人とも知り合って行きました。

もう「一つの世界」です。


それが今や、携帯電話にも触れない、Wi-Fiの飛んでる空間もしんどい、という状態になってしまい・・・・

SNSでやりとりしていた人たちにも「しばらく休みます」と挨拶をして、ネットの世界から下りました。

何事も早すぎた人生だったなあ、

としみじみ思います。


ついにWi-Fiが止まる!・・・が、やっぱヨレヨレに。

 今日は、2023年4月5日です。

前回、光回線の契約を解除したところまで書きました。

結局、翌日の28日にWi-Fiが止まっていることを確認できました。

午前中にYouTubeやSNSなどを見ているうちに、次々と画面が待機中になって行き、何も表示されなくなる、というヌルッとした感じでWi-Fiは切られました。


光回線が配線されている部屋に入ってみると、

いつもよりは身体への負担が軽い!

と感じて、しばらくその部屋でピアノを弾いてみましたが、やっぱり、少し経つと全身げっそり。

手術をした耳や首の周りや、麻痺のある喉が腫れて痛くなり、動悸や頭痛もひどくなってきました。

Wi-Fiが止まってから、かなり体感としては軽くなったけれど、まだコード自体は撤去されていないので、それに反応しているようでした。

電気関係の知人によると、「光回線からは電磁波は出ていないはず」とアドバイスをもらいましたが・・、何にしろ、私の身体は拒絶反応を示してしまうので、撤去するより生きる道はないです。

Wi-Fiが止まってから、半月以上先に撤去工事の予定が決まりました。

完全に撤去される日が待ち遠しいです・・。


昨日も、ついつい光回線の部屋に入ってピアノを弾いてしまいました。

そして、その後、激痛と鼻血で一晩中苦しむことに。

夜はお風呂に入ったり、今朝は太陽にあたったり散歩したりしているとちょっと身体が楽なのですが、台所や居間に戻ると、たちまち、頭や喉が痛くなり呼吸も苦しくなるので、何か食べては寝る・・・の繰り返しで、夕方を迎えました。

まだ全身の痛み、シワがれ声、顔面の引きつれ等の症状は治りません。


来週には光回線の撤去工事が終わっているはずなので、その時まではもう絶対にあの部屋には入らない、と決心しました。


そして、昨今は携帯電話からテザリングするにも別契約が必要だということに気づきました!

電磁波が強すぎて携帯電話を手で持てないし、免疫の関係で携帯電話の文字も読めないほど視力が落ちてしまっているし・・・

というわけで、この文章は、街に降りた時に、ワーキングスペースを借りてアップしようと思います。


ーーーーー

今、街中のカフェに来てWi-Fi借りました!

さて、アップします!こういうのなんていうんでしたっけ?

ノマドだっけ?

牛乳をやめているので、オーツミルクとやらで作ってもらったカプチーノ。

オーツミルクは甘くて美味しかった!







2023年3月28日火曜日

入院するのも大変な時代に

 


「術後10周年」と書きましたが、この10年の間にも、色々と手術はしておりました。

正確に言うと、「最初の大手術から10周年」です。

大手術の後、10年を生き延びるという目標があったので、10年にちなんでみましたが・・・脳腫瘍関係の手術としては、2回目の「ちょっとした手術」の後の方が、きつかったです。

今も療養中ではあるし、化学物質過敏・電磁波過敏で人にも会えないし、社会と関わること自体が困難極まっているけれど、

こうして起き上がることができて、座ってiPadに向かうことができるだけでも、元気になったものだと思います。

先月までは、起き上がれない日が続いていたし、去年の今頃は杖ついて介助してもらってやっと外出できる、という期間も多かったです。


去年の今頃は、ほぼ失明(小さい光だけがチラチラ見える)という状態を何度も繰り返し、頭も痛く、その処置に追われてました。


去年は、化学物質や電磁波の暴露が増えるたびに、全身状態が悪くなり、目も見えなくなって眼科に駆け込む、ということをしているうちに、ほぼ一年が終わってしまっていたような。


救急搬送、入院、数値が良くなるまで投薬、点滴を繰り返すというトライアスロンみたいなこと(?)をして、やっと数値が下がって帰るともう夜遅い、などという日もありました。


で、去年は久しぶりに入院して手術を受けた(二泊三日を2セット)のですが、今、入院するのは本当に大変なんですね!🙀


眼科へ入院したのですが、全身状態が非常に悪く、食事で起こされても、頭が朦朧として起き上がれない、眠ったまま・・という状態だったので、私自身は何も差し支えなかったのですが・・・今、面会って禁止なんですね?!


私自身、去年は高熱出してばかりで、その度に受ける検査は全て陰性でしたが・・、激痛でしんどくて嘔吐して・・・という状態が長く続いたので、ガリガリに痩せて体重30キロ台にまで落ちてました。

早く処置してもらわないと死んじゃうよ!という状態でしたが、「これ、陽性だったらどうなるんですか?」と病棟前で検査してくれた人に聞いたら、「陽性だったら、手術はまた今度、ってことになります」との答え。

今回ほど、早く手術してくれ、と思ったことはなかったので、ゾッとしました・・。


というわけで、入院や手術の時に、自分の病気のことだけに専念できていた10年前・・・今思えば、呑気で平和な時代だったのかも。


眼科の病棟では、高齢者がいっぱいいて、皆、元気におしゃべりしたり、テレビを見たり(なんで見えるのか?!私はテレビなんて全然見えない状態で入院したので、皆がテレビ見てるのがすごく不思議でした)していて、最初は、

「こんな高齢の人も面会に来て貰えないなんて・・・気の毒な・・・」

と思いました。

が、よくよく考えれば、高齢の人でも受けられる手術をするわけなので、だから、眼科にはたくさんの高齢者が溢れかえっているのですよね。


脳神経外科に入院していた時は、個室で一人きりだったので、ほとんど他の患者さんは目撃しなかったけど、たまに外来で待っている患者さんを見ても、割と年齢層は低めな気がしました。

高齢になると、大きな手術は受けられないですもんね。


でも、脳神経外科の手術の後、面会とか付き添いなし、って、どうやって、やっていくのだろう??

身内がそばにいない分、さらに看護士さんたちが細かいケアをして回っているのかな?

などと、考えてしまいました。


今、一人で入院している方、または、おうちで待っているご家族の方もいらっしゃるのかな・・・。


ーーーーーーーー

「27日でネットが止まります。」と言われて、昨日(27日)はずっと様子を見ていたけれど、いつまで経っても止まらない。

翌日、「あ、昨日のネット停止分、俺やっとくわ」みたいな感じでゆる〜く作業しているのかな?

それなら、28日に出勤して、朝のルーティン的に片付けてしまうのかな?

そう予想して、「ブチっと切れる瞬間を見てみたい」と思い、朝からずっとYouTubeなど再生しているけど、全く切れる気配がない・・・。


2023年3月26日日曜日

物資もなくなり、ネットも遮断

 今日も終日、雨でした。


私の住む田舎町では、移動手段に「徒歩」という選択がありません。

よって、雨が降ると、屋外を歩けなくなります。

雨宿りできる建物などないし、

歩道も「一応、作っておきました」という感じで、ガタガタ道で、私のようなバランスを取れない身体だと、訳のわからないスペースに転がって行き、自力で帰ってくるのが難しくなります。

先月も、訳のわからないスペースに落下して、仙骨を強打したため、今も椎骨の全てがギュッと圧縮されて、日常動作が困難な状態です。つまり、お尻から首までが固まって、痛いです。


というわけで、雨の降る日は、おとなしく家にいることにしました。


が、もう何日降り続いているのか・・・?


冷蔵庫の野菜はなくなり、乾物も食べてしまいました。

米だけはあったけれど、おかずがない・・・


というわけで、あんなに可愛がっていた「菜の花」に手を出してしまいました。

毎日、「可愛い、可愛い」と声をかけて、写真を撮っていたの菜の花。

いきなり、包丁を突きつけるのはどうかと思って、

一旦、包丁を台所に戻しに行って、

「悪いけど、ここのとこだけちょっと、分けてくれないかなあ?」などと前振りだけして、

再度、包丁を手に持ち、菜の花の茎の一部を分けてもらってきました。

他の生物の命をいただいて自分が生きる・・・たまに考えてしまうテーマではありますが・・・

菜の花は美味しかったです(!)パスタにしました。

この功績をたたえて、今度は、うちの庭に植えてみようと思います。


そして、物資も尽きれば、Wi-Fiも尽きる。

明日で回線の契約を終了します。


Wi-Fiが止まるだけで、光回線の回線撤去工事はまだ来月になります。

私を心身ともに追い詰めてきた光回線自体は、まだ残っていて、部屋はクリーンにはなっていないのですが、

ついつい、「やっと、この苦しみから解放される!」と思うと、嬉しくて嬉しくて・・・

つい先走って「光回線の配線されている部屋」に入って、

ピアノを弾き、歌っておりました!


が、数分で、左鼻の奥がヒリヒリと痛み、左の頬がプクーっと水膨れのように腫れてきました。

光回線の威力、ハンパないです!


というわけで、明日からWi-Fiなし生活に突入します。

田舎で一人で療養し始めてから、生活の全てをネットに依存しきっていたので、ネットなし生活なんて、想像もできませんでしたが・・・

命に関わる、というか、もうかなり被曝してしまったので、一旦、ネットの世界から退きます。


ネットから遠ざかっている間に、

脳腫瘍が発覚(?)した当時から、手術のこと等、書き溜めておこうと思います。


私は、危なくて携帯電話を手に持つことができないので(投げ飛ばしてしまうくらい痛い)、光回線、携帯電話の電波以外で、何かアクセス方法を見出したら、またアップします!


電磁波や化学物質(この両者はセットで体に悪さをします)から遠ざかっていれば、少し症状が落ち着くので、デトックスができたら、またブログを再開する予定です。


元気になった暁には、

『シン・ぼちぼちの日々』として、再登場します!

その時まで、皆さんもお元気でね!😀



2023年3月25日土曜日

髪を自分でカットし、ますます強くなった私

 ここ数年間、世間でも色々なことがありました。


私は、人々から発せられている化学物質等に反応して、ブツブツ、高熱、動悸、頭痛、大量出血、目の血管の詰まり(救急搬送される羽目に)等、色々な症状に見舞われるので、なかなか人間に会うこと、人前に出て行くこと自体が困難極まっております。


しかし、もうそろそろ、行きたい。美容室に行きたい!

と思い始めたら、もう我慢ができなくなりました。


2年前まで通っていたお店の美容師さん、お元気かなあ?美容師さんにも会いたい・・・しかし、今の私にはもうどう考えても行けない。


そこで、以前、地元の人に教えてもらった自然派の美容室に、コンタクトを取ってみることにしました。


こちらの事情を話すと、なんと!

その自然派の美容師さんも同じ症状で苦しみ、一時期は営業を休む等して、心身ともに、大変だったと話してくれました。

ぜひ、きてください!とのこと。


嬉しくて涙が出ました。


で、いざ予約を取るぞという時に、一応、アレルギーのことも話しておかないと、

と思って「ラテックスアレルギーがある」と話した途端、あちらの態度が豹変し・・


出禁になりました!🙀


カットだけお願いすることにしていたので、ラテックスに暴露されることもまずないし、もし手袋を使いたいならこちらでビニール手袋を持参する、と話しましたが、ダメでした。


田舎の美容室は、どこも出禁。

私を受け入れてくれていた名古屋の美容師さんが、急に恋しくなりました。


が、まあ、向こうが「怖い」と思うなら、仕方ない。

今回の自然派美容師さんは、私に色々と「辛かった体験」までメールしてきており、「鬱にもなった」と言われていたし、かなり精神的に追い詰められているのがわかりました。

精神的に弱っている人が、「自分の辛い体験」を話した後に、それ以上に「強いエピソード」を披露してしまったのがいけなかった・・・。

私自身は、「自分の辛い気持ち」を話してるつもりはなく、ただ化学物質過敏の症状が今も出続けていることとか、アレルギーの詳細を話しておかないといけないと思って、事務的に伝えただけのつもりだったけれど、またその「淡々とした様」が怖かったのかも・・・。

山猫さんと話してからみるみる元気がなくなり、お客さんに「今日は調子が悪いからまた今度出直してきます」と言われてしまいました・・・

という感じで、かなり遠回しな言い方で出禁を食らいました。

最初、気づかなくて「また営業停止するのですか?元気が出たら教えてください」

と言ってしまったけれど、営業は元気に続けるけど私(山猫)にはきてほしくない、

という意味だと気づくのに、結構、時間がかかったし、自分が怖がられているのに慰めているという恥ずかしい私(笑)!

その美容師さんのメールの文面からも、なんだかすごく感情的なものに弱い感じを受けたので、行く前に断ってくれて、まあ、よかったです。

これで、当日「頭蓋骨が削られているので、耳の周りは窪んでえいます・・」とか、「左耳の聴力がなくて」とか「手術の時に、左耳を下の方につけられてしまったので髪型も気をつけてください」とか、「すいません、あんまり目も見えないです」とか説明なんかしたら、自然派美容師さんは、その場で失神してまうのではないかと・・・💦


それに、よくよく考えたら、今はもうどこに行こうが、化学物質はごちゃ混ぜになっており、「人に会っている人」でクリーンな人は一人もいない。(もちろん、私も)


過剰な反応が出る可能性大とわかっているなら、美容室自体に行かないのが正解かも。


そして、そういうことに敏感な人が集まる場所(ネット上で)で、「みなさん、今、美容室とかどうしてるんですか?」と聞いてみたら、

想像以上に多くの人が「自分で髪を切っている」と答えてくれました。


目から鱗!


自然派美容室で、ハーブティーなんぞ出してもらいながら、癒しの施術を受けて・・・

なんつって、甘いことを考えていたけれど、

もうこれからは、何事も自力でやれたに越したことはない!そんな時代に突入していたんだなあ・・!


と、ネット上の知らない人たちに勇気をもらい、自分で髪の毛を切りました!


アンダーバストくらいまであった長さを鎖骨の下あたりまでにカット!


元々、癖毛だったけれど、自分でハサミを入れたら、なんだかすごくワイルドに、ボリュームが出た(笑)!


まあ、四六時中、髪の毛を結んで過ごしているし、基本的に人に会うこともないので、景観を損ねたり、人々に妙な違和感を与えることもないでしょう!


また、一つ強くなってしまった!

これでカットの技術が上がれば、言うことなし!

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やっぱり、花の細かいところとか、自分の描いた線とか見えないので、今日はドアップで描いてみました。

それでも見えん!

ので、また違う描き方を編み出したいと思います。

昨日から雨が続いて、外に出られず、冷蔵庫の野菜もほぼなし・・・食べそうになるのを我慢して描きました!



2023年3月24日金曜日

脳腫瘍ブログで出会った人

今日、うちの裏口に咲いた「野良の菜の花」をスケッチしてみました。
(載せ方がイマイチわからんです、すいません)





「謎の免疫疾患」により、目が見えづらくなってしまったので、輪郭を描いてから色を塗る、という描き方は出来なくなって久しいというのに・・・・ついつい、忘れて、先に輪郭を描いてしまった!
一応、あまり見えないという自覚はあるので、見えやすいように筆ペンを使って太い輪郭で描いたけれど、やっぱり、後から塗るのは難しい。色の区別もできないので、絵の具の並びを覚えていて塗るという段取りを確立していたのだけど・・久々に絵の具を出したら固まっていて使えない絵の具が多く、自分で色を作る羽目に。
やはり、見えないと「見て描く」という作業は難しい!!

描いたスケッチをiPadで撮影してアップにして確認してみたところ、「嗚呼!こっちも!ここも塗れてない!とストレスが一気に押し寄せてくる・・・。
が、歯ぎしりしつつも、載せてしまっております!

そういえば、以前、ブログを書いていた頃は、イラストを描いて載せていたんだった!と思い出したのです。

それについても、思い出があります。
脳腫瘍ブログを通じて知り合った方と話していて、
「下手だと思っても、そんなの気にせず、どんどんブログに載せちゃえばいいんですよ!僕も写真載せてるけど、ピンボケでもなんでも、自分が良いと思ったらそれで良いんです!もっとイラスト載せてくださいよ!」
と励ましていただいたのでした。

その方は、私とはまた違った症状を持っていて、知り合った時はお勤めされていたけど、半年くらいでどんどん調子を悪くされ、良いホスピスを見つけた、と言った以降、連絡が取れなくなりました。

その後、ご家族の方から、その方が亡くなったとのご連絡を受けました。

病気を通じて知り合った方だったけど、意外とマニアックな趣味や、独自の考え方を話してくれました。

「そうだよねえ、病気したからって、病気のことばっかやっててもつまんないよねえ。元々はそれぞれの世界でやってた大人同士だよねえ」
と思いました。

ホスピスに行くという言葉の後に連絡が途絶えたので、もうこのまま・・・そういうことだよね・・・・とは思いはしましたが、正式に、彼が亡くなったとのご連絡をいただいた時は、さすがにガックリきて、涙が流れました。

しかし、時々、彼のことを思い出します。

結局、会うこともなかったけれど、「山猫さん、サブカル好きですよね?」と言われたっけなあ・・・とか、

彼に励ましていただいたおかげで、以来、私は、下手でも好きなイラストを描き続けてきたのでした。
たまに、「私、描いてるよー!」って彼に向けて、話しています。彼なら喜んでくれてるはず。

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話は逸れますが、なんでサブカルってバレるんでしょうね?
私、自らサブカルを名乗ったことはないのですが、「自他ともに認めるサブカルです」というタイプの人から、必ず「サブカルですね?」と聞かれたり、それ系のイベントに誘われたりするんですよねえ・・・。
ブログを通じて知り合ったその方から、あまりにもマニアックな話をたくさんされたので、
「ごめんなさい、私、サブカル系にはそんなに詳しくないんです」
と言ったら、
「え!山猫さん、サブカルだと思ってましたよ。いや、絶対、サブカルですよ」
と認定を受けました(笑)

ちなみに、どこの職場にも「霊感の強い人」っていますよね?
そういう人がこそっと私にいうには、「山猫さんも見えてますよね?」です。
なんなんでしょうねえ・・・・。

2023年3月23日木曜日

麻痺がある人、電磁波にも気をつけてみて!

 電磁波過敏症で、かつ「謎の免疫疾患」で、目が見えづらい人間がどうやってブログを書いているのかと言うと・・・


まず、自分の身体のアースをとった状態にする。

(私は、ブラグインアースを使って頭からシーツをかぶってます。頭にはアーシスという器具もつけてます)

iPadを「機内モード」にする。

(こうすることで、端末はWi-Fi電波をキャッチしません。本当ならルータ等も切った方が良いですが、今日はルータの場所から離れているのでこのまま、書いていきます)

iPad内で、オフラインの状態で、フォントサイズを大きく(3センチくらい)して、文章を書く。

文章が書けたら、全文をコピーする。

iPadの機内モードを解除して、Wi-Fi電波を拾う。

ネット上のブログ作成ページにアクセスして、先ほどコピーした文章をペーストして、ブログをアップする。


大体、こんな流れでやっております。

他の作業も同じで、オンラインの時間をなるべく短くして、メールも受発信時だけオンラインにして、読んだり書いたりするときは、こまめにWi-Fiをオフ(畿内モードをオン)にしています。


ただ、私は電化製品全般が苦手なので、電波を切っても、iPadを触っていると心臓が苦しくなったり、頭が痛くなったり、全身が痺れたりします。


脳腫瘍的なことで言えば、顔面麻痺とか、喉の麻痺とか、一時的に悪化します。

顔面麻痺がある左側の頬だけ垂れ下がったり、目が開かなくなったり、喉は灼けるように痛みます。

そして、私は左耳の中身を手術で除去してしまっているのですが、耳鳴りだけは激しく24時間体制で鳴り続けています。

その耳鳴りも、電磁波に近づくことによって、音が激しくなり、外の音よりも大音量に。

雑音もいっぱい入ってきて、なんだか嫌な音に変わります。

こんな感じで、挙げたらキリがないのですが・・・。


左側だけひどくなるのは、麻痺や障害が集中しているし、頭蓋骨に穴を開けてしまっているからかな?

などと、一人で色々と考えてみております。


もし、これを読まれた方で、麻痺とか何らかの症状が、リハビリしてもあまり良くならない、というか、時々、やたら痛いとか悪化する、

と感じることがあれば、

一度、電磁波も気にしてみてください。

私は、電磁波を気をつけると気をつけないとでは、体感が雲泥の差です。


病人って、ちょっとでも元気があって、座ることができれば、ついついスマホをいじりがちだと思うんですけど・・・

私は、スマホを手で持てないです。

痛いし、危なすぎます。


せめて、寝る時だけはオフにするとか、ちょっとでも使わない時は電磁波カットする素材のスマホケースに入れてしまうとか・・・

人体実験だと思って、やってみてください!😀


歯も痛くなってきたので、今日はこのくらいで!


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追記:

やっとこさ、「ブログ村」の使い方をちょっと思い出してきました!

新しく投稿した場合は、ping送信という操作をするんだった!


手を動かしているうちに、なんとなく思い出すものなのですねえ・・。

2023年3月22日水曜日

術後10周年

気づけば、今年の秋には術後十周年を迎えます。

秋まで生きていれば、の話になりますが。

なんとなく、お祝いムードというか、一つの区切りを感じます。


当時、執刀医には

「あなた、このままでは10年持たないと思うよ」

と言われ、手術することを決めました。

術後には、リハビリや身体の動かし方等について教えてもらっていた先生に、

「今後10年間は、生き延びることだけを考えるように」

とも言われました。


というわけで、術後10年間を生き延びなければ手術した意味はないが、生き延びることだけに専念する10年間というのも、なかなか大変でした。


が、とりあえず「術後10周年」間際まではなんとか生きたので、

もうそれで良いのかも、と思っております。


「10年」という表現は、本当にその年数を指す場合もあるけど、何かの例えだとも捉えられます。

「10年」という年数を頭に置いて、辛抱強く日々を過ごしていれば、なんとなく気づけばまだ生きている、という状態になるんだろうな、と思いました。

一つの目標としての年数。


「自分は後10年で死ぬんだ」と思って、もっと一生懸命に生きたり、自分の嫌なことはもうしないようにしたりすれば良かった!


さて、これからは、生き延びること以外のこと、これからの仕事や生活、余生の楽しみについて準備して行きたいと思います。


そうこうしている内に「死んだ!」となっても、心持ちとしては、そう悪くない状態なのでは?と思っています。

2023年3月21日火曜日

電磁波過敏症・化学物質過敏症

今回、別のブログでも始めてみようか・・と思ったのですが、ブログの書き方自体も忘れてしまったので、とりえず、過去に放り出してしまったこのブログを書いて、慣れていこう、という魂胆です。

(今、チョコチョコと書いて投稿して、表示して・・・と動作を確認しているところです。しょうもない記事が続いてごめんなさい)


別のブログというのは、化学物質過敏症、電磁波過敏症等の今ならではの自分の身体と心について、書こうと思っております。

この「過敏症」というやつは、本当になかなか厄介で、世の中に実態を知ってもらわないことには、どうにも生きられないのです。

今(今年は2023年)の世の中を見ていると、これから、過敏症の人は増えていくと思われます。

脳腫瘍の人にも無関係ではないと思っています。(頭蓋骨をいじる場合、少なく見積もっても、電磁波には弱いと思います)


症状が激しくなると、

電車にも乗れない、お店も入れない、買い食いもできない、人間のいるところには行けない、携帯電話も持てない、ネットが使えない、家電製品が使えない、家の中の配線にも反応するので家の中でも居場所がない。


ただ、あまり本当のことをストレートには言えない時代に突入してしまったので、過敏症については、どうやって書こうか悩ましいです。

(規制のやわらかなサービスを利用して書くつもりです。)


自分の脳腫瘍治療体験についても、実はあまりこのブログではほとんど書いてこなかったのは、わざと避けていました。(脳腫瘍ブログなのに!)

私は、物事の良い面だけでなく悪い面も同時に見てしまう性質です。病気関係のことに関しては、病人や医療関係者もセンシティブだと思われるので、ショックを与えたり、怒られたりしないように、と思いました。


でも、もうそろそろ書いていいんじゃないかと。


最初の脳腫瘍の手術を受けてから、今年で10年経つ、ということを先ほど思い出しました。

私を担当してくれた当時の医療スタッフの皆さんは、きっともう違う場所にいるだろうし、

病気を患っている人々も、私が寝込んでいた間にとっくに進化しており、何でもかんでも感情的になって不幸になって・・・・というノリでもないような気がしてきました。


というわけで、始めるぞ始めるぞ・・・と言いつつ、次回へ続きます。「始めるぞ始めるぞ」詐欺にならないよう、頑張ります。


2023年3月20日月曜日

久しぶりです!

 久しぶりにブログを書いております。

「ブログ村のランキング」に参加しているのですが、どうやって更新を通知するのかも忘れてしまいました。

今の私には、電磁波過敏症と、謎の免疫疾患による視力の低下があるため、オンラインの状態であれこれ調べることができません。

「ブログ村」の使い方はわからないまま、突っ走ることにしました!


「ブログ村」もチラリと覗いてみました。

私の検査結果に初めて脳腫瘍が確認された時、いろんな脳腫瘍ブログを読みあさったのものですが、その頃から連載されている脳腫瘍ブログ界(?)の重鎮の方々のブログがまだ続いている!という感動が・・!

脳腫瘍と言っても、その種類によって全く症状が違い、私はどのブログの方とも症状や回復の経過が違ったので、自然と読まなくなってしまいました。

が、病気が発覚(?)した当初は、動転して、完全にビビってしまっていたので、色々な人のブログを読むしか時間の過ごし方がわからん、というほど読みあさっていました。

私の家族や友人たちも、ブログを読んで情報をつかんだり、気を紛らわしていたりしていたようなので、色々な人に助けてもらったんだなあ、と思って、自分もブログを書くことにしたのを思い出しました。

病人やそのご家族を励ましたいという気持ちはあれども、さほど良いニュースばかりでもないのが事実。

まあ、それでも生きてはいるので、それでヨシ!としてくださいな。


今回、ブログをちょっとだけ再開しようと思ったのは、そろそろ、もっと本当のことを書いてみようという気持ちもあります。


ちなみに、ほとんど見直しとか、校正とかしないつもりです。

「見る」こと自体が苦手になってしまったし、とにかく極力、家電から遠ざかっていたいのです。

スンマヘン!

生きてます!

こんにちは。

久しぶりに投稿してみています。

投稿していない間に色々なことがあり、身体もかなり弱り、起き上がれない日々が続きました。

目もあまり見えなくなってしまったので、さらにブログを書く気にもなれず・・・・

完全に、ブログの書き方とか、投稿のしかたとか、忘れてしまいました!!あははは!


とりあえず、生存報告がてら、テスト的に投稿してみます!


皆さんも生きてますかー?!


そして、ごめんなさい!

目もあまり見えないし、今流行りの(?)電磁波過敏症になってしまったので、

コメントのお返事ができません。

そのうち、コメント欄は書き込みできないようにする予定です。


ではでは!